水戸旅行の連載も4回目になりました。前回の記事はこちら。
偕楽園で好分亭を出た私たちは、吐玉泉を見てから、近くにある茨城県立歴史館に向かいました。
茨城県立歴史館
旧水海道小学校本館
本館に入る前に、敷地内に移設されていた「旧水海道小学校本館」に入ってみました。
ちょっと洒落た洋館風ですが、日本の大工さんが建てた「疑似洋風建築」なのだそうです。
中には、昭和時代の教科書やら給食の見本やらが展示されていて、自分たちの小学校時代にドンピシャで懐かしかったです。
中でも、この写真ですよ。謄写版印刷(ガリ版印刷)用の原紙、やすり盤、そして修正液です。鉄筆は写ってるかな?
「本好きの下剋上」に出てきますが、私などは小中学校時代にリアルに使っていたものです。懐かしすぎる! 他にも、足踏みオルガンや当時の机や椅子・教卓等が展示されていました。
旧水海道小本館を出ると、雨が降っていました。急いで歴史館本館に駆け込みます。
本館カフェで軽い昼食
ちょうどお昼を回った辺りだったので、入口手前にあるカフェで軽食をとりました。「ランチセット」と銘打っていましたが、普通にサンドイッチとサラダ、そして、地元のSAZAコーヒーでした。歩きまわって疲れたので、雨の降る中庭の池を眺めながらゆっくり休憩しました。
本館での展示・特別展
そして、いよいよ歴史館本館です。
特別展は「国指定重要文化財修復完了記念 ビフォー・アフター三昧塚古墳」。
この春に修復事業が終わった「三昧塚古墳」の発掘品を中心に、他の古墳も併せて、霞ヶ浦周辺の古墳時代について展示されていました。私の知識は高校くらいで止まっているので、古墳というと西の方のイメージでしたが、こういう立派な古墳がこの地域にもあったのですね。勉強になりました。細かい細工の副葬品など、好きな人にはたまらないんでしょうね…。
本館での展示・常設展と一橋記念室
その後常設展と「一橋徳川家記念室」も見学しました。
常設展は茨城県の歴史を原始時代、それこそ貝塚の時代から現代まで、かなり詳しく紹介されていて、見ごたえがありました。ここでももちろん、義公・烈公・そして大日本史の展示はありましたが、他の施設と比べると歴史の一部、という感じで客観的に扱われていると思いました。
「一橋徳川家記念室」は、水戸藩出身の徳川15代将軍慶喜以降、一橋家が水戸藩系になったためか、一橋家12代当主が、代々伝わる美術品その他文書などを県に寄贈したため、それを展示する施設だそうです。小さなお部屋だったのと、前日から見たような展示が続いていたので少々食傷気味で、あまり印象に残らなかったのが残念です。
ここまで見て、時間がかなり押していることに気づいたので、本来行く予定だった「徳川ミュージアム」はパスして(たぶん、散々見たような内容が多いだろうし)、タクシーを呼んで「茨城県近代美術館」に向かいました。
茨城県近代美術館
ここは本来行く予定ではなかったのですが、「水戸学の道」にポスターが貼ってあり、「伊藤若冲」の展示があるというので、若冲ファンの夫が行きたがったのです。念のため、歴史館を出る前に夫がWeb予約をしてから向かいました。
行ってみると、肝心の企画展「若冲と京の美術 京都 細見コレクションの精華」に関しては、若冲が一番最初に名前が出てくる割には、作品は少なめでした。企画展の主旨はあくまで「細見コレクション」で、その一部が若冲、ということでしょう。
極彩色の細密画が若冲の真骨頂と思うのですが、墨絵の掛け軸等がほとんどでした。
お目当ての若冲が少し物足りなかったのですが、展示されている細見コレクションそのものは、それはそれで、個人所有とは思えないクォリティではありました。たくさん展示されている屏風絵などは見事なものばかりでした。
企画展の入場券は常設展等多くの展示を見ることができたので、美術館内を一通り見てまわったら、もう閉館近くなり、一日歩き回ったのですっかり疲れてしまいました。
夕食をとってホテルに戻る
本当は水戸駅まで行って夕食を、と思ったのですが、実はこの美術館、宿泊しているホテルのすぐ近くで、もうそのまま帰りたいくらいでしたので、夕食は近くのどこにでもあるファミレスで済ませ、この日の観光は終わりになりました。
それでも、この日歩いた歩数は16278歩と、前日よりは少なかったんですよね。じわじわと疲れが溜まってきたんでしょうか。
コメント