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水戸に行ってきました~(2)弘道館・水戸城跡は広い! そして、どこへ行っても義公と烈公

昨日の続きです。昨日の記事は下記。

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弘道館

さて、ようやく大荷物から開放されたので、弘道館に向かいます。

三の丸小学校校門

「水戸学の道」に沿って、弘道館を目指して坂を登りきると、突き当りに「三の丸小学校」がありました。

立派な正門は、鎌倉の御成小学校を思い出しましたが、古い城門のイメージを残しているんでしょうね。ちょこっと覗いてみましたが、校舎もそういう雰囲気になってました。歴史を大事にしているのを感じました。

そして、弘道館に着きました。

弘道館入口
広大な庭園(建物跡地)

弘道館は旧水戸藩の藩校で、もともと水戸城三の丸の敷地の一部のようですが(三の丸小学校もそう)、一部と言っても広大です。戦災で多くの建物が消失してしまったので、広大な敷地が広がっていました。

そして、焼け残っていた正庁の中を一通り見学しました。中は当時の建物としての価値はもちろんありますが、さまざまな資料が展示されていて、「教育熱心な水戸」とか、「歴史を大事にしている水戸」というのを強く感じさせてくれました。さすが、「大日本史」を編纂した地だな、と。

光圀公(諡・義公)が始めたとされる「大日本史」の編纂ですが、そこまでは知っていたものの、最終的に完成したのが明治になってからで、全部で400巻を超えるものだというのは初めて知りました。この「大日本史」は、行く先々でお目にかかることになり、水戸の自慢のひとつなのだと実感しました。

二の丸跡地

三の丸の跡地を一周した後は、二の丸の跡地に回りました。

復元されたばかりの大手門をくぐり、二の丸展示館、二の丸角櫓すみやぐらと続けて見学しました。

水戸第二中校門

二の丸の跡地は広々としていて、上記はどれも新しい建物なのですが、大通りの両側に位置している学校(水戸市立第二中、茨城大学附属幼稚園・小学校)の校門が、三の丸小のように立派で、少し古めかしいのが逆に目立ちました。逆側にいかなかったのでわかりませんでしたが、二の丸跡地にはあと水戸第三高校もあるそうです。

水戸城跡はその他本丸・下の丸の跡地が丸々水戸第一高校の敷地になっていることもあり、学校・教育をすごく大事にしている、というイメージを強く持ちました。

もちろん、二の丸展示館にも水戸藩や徳川家の家系図や大日本史についての資料など、弘道館と同じようなものがたくさんありました。そして、どこの展示でも、光圀公と斉昭公(諡・烈公)の業績に多くのスペースが割かれていて、この二人の存在の大きさを感じずにいられませんでした。

水戸東照宮

この後、水戸駅方面に戻り、水戸東照宮に向かいました。水戸にも家康公を祀った東照宮があるんですね。

ここには、先に行った弘道館や二の丸展示館の資料で、斉昭公考案の戦車があるというので、回ってみました。

東照宮本殿
噂の戦車

2枚めの写真がその、「安神車(戦車)」だそうで、実態は牛車のようです。中に入るというのは画期的だったようですが、牛が引いていたら、あまり役に立たないような気もします。

早めの夕食

東照宮を出たらもう時間がだいぶ遅くなったので、夕食を先にとってホテルに向かうことにしました。実は、ホテルの大浴場が男女入れ替え制で、女性の入浴は午後8時までなのです。なので、遅くとも6時半くらいまでには食事を終えてチェックインをしないといけません。

この日の夕食は、駅近くの海鮮居酒屋さんにしました。納豆料理、あんこう料理があるのが売りだったので。

私は、納豆中心の「ねばり丼」を注文しました。夫があんこうの唐揚げを頼んだので、漬物のお皿に一個乗っています。

サラダのドレッシングも納豆入り、味噌汁も納豆でした。

水戸の納豆が地元だからどう違うのかはよくわかりませんが、納豆は好きなので美味しくいただきました。

こうして1日目の観光を終え、無事にホテルに入って、疲れ切ったので早くに寝てしまったのでした。ちなみにこの日は21646歩も歩きました。

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