Audibleで、続けざまに「緩和ケア」とか、「安楽死」とか、「末期がんの治療」に関する本をいくつか聴きました。小説も含めてです。
久坂部羊さんの一連の本(小説や新書)
他にも、
等々。
この辺りの本を聴いていて、今後もしガンが再発転移したらどうするか、と真剣に考えてしまいました。
私の場合はもう還暦を超え、母の亡くなった年齢を遥かに超え、父の亡くなった年齢(70歳)に近づきつつあります。正直、経済的な不安もあるので、平均寿命まで生きたいとは全然思っていません。健康なら生きていたいですが、もしもガンが再発転移したりしたとして、積極的な治療を受ける必要があるのか疑問に思っています。
少なくとも、初発のガンであれば、治療の手段もあるし、完全寛解の見込みがあるのであれば治療するかもしれません。
でも、再発転移は、ねぇ。今の時代、再発はともかく、転移があったら手術はしないそうなので、おそらくエンドレスで抗がん剤治療が始まるのでしょう。それは…イヤですね。先が見えないし、治療することで余計に苦しくなる、らしいですから(上で挙げた本にそうありました)。
思い出すのは、30年以上前ですが、亡くなった母のことです。
私の母は、39歳のときに、「胃潰瘍」の診断で胃の2/3を摘出しました。1980年代はじめのことです。今では考えられませんが、当時は意外によく聞く話だったと思います。なお、その摘出した部分を病理検査したところ、初期のガンが見つかったとのことでした。当時のことなので、母には告知されませんでした。
それから10年ほど経って、母はガンが再発・転移し、本来なら「手術不能」な状態になっていました。母曰く「前回の手術の術後がすごくつらくて、手術になると思うと少し調子が悪くても言いたくなかった」だそうで。病院に行ったときには、お医者さんから「このままでは1ヶ月もちません」と言われたそうです(当然母本人には告知なし。話を聞いたのは父です)。
当時の常識というか、一般的な認識としては
- ガンは死病なので本人には告知しない
- 手術のできるガンは治る可能性がある
という感じで、「手術ができない=手の施しようがない、助からない」というイメージがあり、「このままでは1ヶ月保たない」と言われただけに、父としては、なんとか手術ができないか、と主治医に相談していたようでした。
その結果、手術をすることになりました。正直、私自身も当時はホッとした覚えがあります。手術ができるなら生き延びられる可能性があるのではないか、と希望を抱いたのです。
ところが、実際に手術をしたところ、ガンは広範囲に広がっており、胃の全部と大腸のほぼ全部を摘出したものの、「ガン細胞はまだたくさん残っています」と先生はおっしゃいました。少なくとも、治ることはないという宣告でした。
この何年か後にアナウンサーの逸見政孝さんが同様の手術を受けたときに、有名人なだけに「そんな無茶な手術をするなんて」と話題になりましたが、その無茶な手術を私の母も受けました。
消化器がほとんどなくなったので、食べて栄養を得ることはほとんどできません。
母はその後一旦退院することができましたが、それだけでした。というか、その一時退院を果たす、というのが手術の目的だったようです。1ヶ月も経たずに再度倒れ、それから1年ほど、病院で過ごすことになりました。
まだ50歳前と若く、肝臓も腎臓も強かったそうなので、ガンと闘ってしまったのですね。告知はされていませんでしたが、たぶん本人は気づいていたと思います。何しろ、一時期完全に脱毛していましたから。告知もせずに抗がん剤をやるとか、今思うとひどい話です。
それでも、徐々に弱っていき、ある日トイレに行けなくなり、食事も一切取れなくなり、と確実に悪くなっていきました。痛み止めを入れることで「せん妄」も起こっていたようです。
結局、1年余りの闘病の末に母は亡くなりました。最後の1~2ヶ月は見ていてもつらそうでしたが、1年かけて、私達家族は母の命はもう先がないのだと覚悟が決まったのだと思います。というか、私達家族が諦めるための時間を稼ぐためだけに、母はつらい闘病生活を送ることになってしまいました。
あのときにあんな大手術をしなければ、あんなに苦しまなくても済んだのかもしれない、と逸見さんか亡くなった頃には感じていました。
家族の「諦められない」気持ちが、母の意思とは関係なく、つらい治療を強いてしまいました。いや、母のことですから、本当のことを知ったとして、家族のために治療を受けたかもしれません。でも、告知もされずに放り込まれるのと、自分の意思で受けるのとは、ぜんぜん違うと思うのです。
ただ、母自身はその間ほとんど弱音らしきことは吐きませんでした。ひたすら、つらい治療に耐えていましたが、面会に行けば元気そうに(元気なはずはないのに)していました。私はまだ若かったこともあり、その治療のつらさを思いやることはできていませんでした。今思えば、最初の手術後がすごく痛くてつらかった、と言っていたのです。あの1年間がそれ以上につらかったのは想像に難くありません。
なので、母に対しては今でも申し訳ない気持ちがあります。本当につらい目に合わせてごめんなさい、と。
まぁ、父は最後まで「1ヶ月保たないと言われたのが1年ももったんだから良かったよ」と言っていましたが。最後まで勝手な人だなと思っていました。
もし、この後自分のガンが再発したら…。きちんと先の見通しを聞いたうえで、治る見込みが無いのであれば、やはり緩和ケアに移行したいかな。ギリギリまで、普通に生活をして、枯れるように死にたいなと思ってしまいます。
そう、若い頃は「死」は怖いものでしたが、ある時期、何度か脳貧血で「失神」したり、全身麻酔で意識のない状態、というのを経験したら、「死」そのものは全然怖くなくなりました。正直、全身麻酔中の「術中死」なんて、ある意味最高かも、と思ってしまいます。だって、全然苦しくないもの。
この世に未練が全然ないとは言いませんが、もう十分生きたし、せめて夫より後に死にたいな、と思うくらいで、執着はありません。ただ一つ心残りといえば、まだ孫の顔を見ていないことかな。これは私の母も経験できなかったのだから、贅沢は言えません。息子は結婚しないかもしれないしね。
何にしろ、人間いつかは死にます。それも、ひょっとしたらある日突然、事故や突然死で命が終わってしまうかもしれません。そういう意味では、そろそろ、「準備」はしておく必要があるでしょうね。その日が突然来たらどうすればいいのか。せめて夫と話し合っておかなくては、と思う今日このごろです。
ただ、その日が来るまでは、元気で動けるうちに、ある程度余生を楽しもうとは思っています。旅行もしたいし、本も読みたい。映画や舞台もまだまだ観たい。そして、できることなら、生きているうちに、ベイスターズのリーグ優勝と、ガラスの仮面の完結を見たいなぁ。
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