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50年ぶりの金沢~その2

2日目はひたすら、金沢城公園~兼六園周辺を観光しました。

50年前に訪れたときにも、兼六園には行ったのです。覚えていませんが。でも、金沢城はまったく覚えがありません。兼六園と地続きで、今では「セット」で観光地になっているのに。

それについては、地元のボランティアガイドさんの話で腑に落ちました。

金沢城址、現在の金沢城公園は、50年前は金沢大学だったらしいのです。金沢大学がその地から移転した後、平成8年から、現在の公園として整備が始まったそうです。そりゃあ、影も形もなかったはずです。

それから30年近くかけて、城門や一部の建物を復元したりして、現在の形になっているようです。なお、二の丸御殿は現在も復元工事中ですが、能登の地震のせいで予算がそちらの復興に回ってしまい、なかなか進まないそうです。

金沢の街は、江戸時代から戦争の災禍と無縁だったとのことで、そのおかげで、豊かで古い町並みが残っています。

江戸時代を通じて減封されることなく、「加賀百万石」を保っていたのは、金沢城を「戦のための城」ではなく、「美しさを誇示する城」にした、前田家当主の知恵だそうで。「幕府に逆らう気はまったくありません」という気持ちを表しているそうなのです。なので、石垣など、他の城は丈夫で無骨なものが多いところ、金沢城は表面を平らにしてモザイク模様のように美しく整えていたりするのです。

そんな金沢城や兼六園をじっくりと見て回って、その後国立工芸館を冷やかし、またバスで移動して今度は「室生犀星記念館」に行きました。

金沢の三大文豪(?)の泉鏡花、徳田秋聲、室生犀星、それぞれの記念館に足を運んだことになります。っていうか、それぞれちゃんと記念館が作られているのもすごいですね。

まぁ私としては、室生犀星と言えば「ふるさとは遠きにありて思ふもの」という詩くらいしか思いつかないのですが…。他にもなにか教科書に載っていた覚えはありますが、印象は薄いんですよね。なお、件の詩は、記念館の壁面に、自筆のものと思われる全文が立体文字で掲示されていました。

そして3日目は「武家屋敷街」へ。

武家屋敷街は金沢以外でもちょこちょこ見てきましたが、こちらでは中に入れる屋敷がいくつか。金沢自体が豊かな街だったようで、中級の武士でも立派なお屋敷に住んでいたようです。

しかし、武家屋敷街は他にも増して外国人観光客が多かったです。地元の方いわく、「観光で稼ぐ以外に生き残る道がない」とのことで、私達が行ったのは平日なのに結構な賑わいでしたが、「まだまだこれでは少ないです」とのことでした。それは…バスはともかく、もう少し道案内等の表示を頑張っていただく必要があるかもしれませんね。

3日目は武家屋敷街だけ見て、お昼を金沢駅の駅ビルにあるレストランで食べて(お刺身が絶品でした)、そのまま新幹線で早めの帰宅となりました。

実質まる2日くらいの観光でしたが、盛りだくさんで結構疲れました。それでも、ほとんど初めての金沢は、刺激に満ちていました。

猛暑の時期だったので、降らない程度に曇った時間が多かったのは良かったです。避暑というほどではありませんでしたが…。

そんな感じで、夏の旅行第1弾は金沢でした。

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